我先にと手を挙げていた、子ども時代。

「授業が楽しくて仕方ない」。そんな小学生でした。
特に低学年のときには、授業で我先にと手を挙げていました。
先生の話は新鮮で面白く、食い入るように授業を聞いて、答えが分かった瞬間が何よりもうれしかった記憶があります。
特に印象に残っているのは、国語の授業です。
「先生が読み上げる原稿の内容をメモ書きにまとめる」という課題があり、褒められた記憶があります。
沢山の情報のなかから大切なポイントを見つけることや、話の前後のつながりを考えて整理することが楽しいと感じていました。

休み時間は、図書館に通い詰め。
気に入ったシリーズの本を片っ端から借りて読破していました。
同じ作者の本はすべて読みつくすハマりっぷり。
そのときどきで気に入った漫画や小説を買い集めていました。
小学校高学年のときにはアイドルに熱中し、親を説得してCDを買い集めファンクラブにまで加入。自分でも歌や踊りをマスターして、友だちと休み時間中踊っていたこともあります。
ハマっている時間がなんとも言えないくらい幸せ。
「これだ!」と思ったものを突き詰める性分があるんだと思います。
トランペットが教えてくれた、本質を探究する楽しさ。

中学校に入学してから始めたトランペットは、結局15年以上続ける趣味に。
どうやったら上手くなるか試行錯誤する過程に熱中していました。
先生や先輩のアドバイスを取り入れてみると、明らかに音がよくなる。
そんな瞬間が楽しくて、「もっと上手くなるにはどうしたらいいだろう」と研究していました。
教本を読んだり、セミナーに参加してみたり、プロの先生に習いに行ったり。
「一番大切なことは、呼吸?筋肉?口の形?」。
こんな風に、学んだことを頭の中で整理しては毎日の練習で試してみる。
それを繰り返して、より本質的なことは何だろうと探求していたのです。
考えたことを実践してみて、上達を感じられるのが大きな喜びでした。
高校時代には、探求の結果に基づいてオリジナルの練習メニューを作り、パートの人たちと共有していました。
自分だけじゃなく、周りの人たちも上達していくことにやりがいを感じました。
卒業後何年も経って部活動に立ち会った際に、私が考えたメニューを何代もあとの後輩の子たちが引き継いでいるのを見て、長く役に立っているのが嬉しかったです。
深く知れば知るほど、本質となる”芯”が見えてくる。
そしてその”芯”を元に考え方ややるべきことを整理していくと、目指している場所にぐっと近づいていけるような、そんな感覚がありました。
「本質を探究する」という楽しさをトランペットが教えてくれたと感じています。
大学では、哲学の道に。

大学では、教育哲学を専攻しました。当時は「世界の貧困」に課題意識があり、どうやったら課題を解決できるか、そのために教育はどんなことを出来るのかと考えていました。
図書館に入りびたって本に囲まれ、仲間と議論をしながらより根本的な答えを求めていきました。
机上で考えるだけでなく、短期留学でフィリピンを訪れ貧困の”現場”を見に行ったこともあります。
いろいろな角度から徹底的に課題に向きあい、より根本的な答えを求めて考えていました。
当時納得いく答えを見つけ、卒論を仕上げたときの達成感はひとしおでした。
より本質的な答えを求めてあらゆる手段を用いて探求していく。
これが私のベースとなるスタイルなんだと思います。
人の根っこに関わる仕事を。
就職活動にあたり、”時代が変わったらなくなってしまうもの”ではなく、”ずっと必要なもの”に関わる仕事がしたいと感じました。
人の思い・幸せは、人や時代によって変わるものです。
でも、人はみんなお金がないと生きられない。
それはおそらく、ずっと変わらないのではないでしょうか。
どうせ仕事をするなら、人の根っこに関わるお金に関する仕事をしようと思い、金融業界で働くことを選びました。
勤めた損害保険会社・生命保険会社での仕事は楽しくやりがいもありました。人間の根幹にかかわるお金を扱うからこそ、人の役に立てている感覚もあったのです。
一方で違和感もありました。
入社4年目の部署異動で、グループ内の生命保険会社に出向したときのことです。
仕事自体は学びもあり楽しくはあったのですが、当時”お客様ではなく金融機関が儲かる商品”が飛ぶように売れていたことが心に引っかかっていました。
また、自社の商品をひたすらPRする営業にも釈然としない気持ちがありました。
自社商品のセールストークは知っていても「本当にいい商品なのか」というのは一切確信が持てませんでした。会社に言われたとおりに働いてはいるけど「本質的なことは何もわかっていない」と感じながら自分をごまかしていたように思います。
続きはブランドストーリー後編へ。